とあるフットボーラーの肖像 - マシュー・ベナムの冒険 ~その2 ブレントフォードFC~




前回に引き続き、マシュー・ベナムの話を。


元ネタ:https://atthematch.com/article/a-profile-of-brentfords-owner-matthew-benham


◇◇◇


マーク・ワーバートンは、当初はスポーティング・ディレクターとしてブレントフォードに加入後、13-14シーズンにトップチームの監督に就任した。
21年間で初めてクラブを2部に導いたばかりか、14-15シーズンの終盤戦ではプレミア昇格プレーオフの椅子を争うまでに育て上げた。
そんな彼が、突如チームを去る事態となった。

これまで達成した偉大な功績、そしてたとえ仮にクラブがプレミアリーグに昇格したとしても、ワーバートンが指揮を取るのはシーズン終了までと発表された。
ワーバートンをクラブの他のポジションに移すつもりだったとしても、彼のような才能ある監督を、クラブの最前線から引き剥がすのは理解不能と思われた。
マシュー・ベナムは一体どうして、このような決断を下したのだろうか?
(※ 詳細については後述)

ここで重要なのは、ベナムはステレオタイプなオーナーではないということだ。
彼はクラブの歴史や遺産を自らの遊具として用いるような人間ではない。生来のフットボールファンである。
1979年、11歳で初めてブレントフォード対コルチェスターの試合を観戦してから、ベナムは32年間も「ビーズ」と深い関係を持ち続けてきた。


◇◇◇


50万ポンドの負債を援助し、自らを「謎の投資家」と自称して西ロンドンのクラブのオーナーになったベナムは、これまでファーストチームやインフラ整備に9000万ポンドもの資金注入を行ってきた。
それはクラブに100%の献身を捧げた男の行動であり、いまではおなじみとなった他の「フットボールクラブのオーナーになりたい人間たち」による気まぐれなものでは決して無かった。
8年間の悪戦苦闘の末、ベナムは2万人収容可能なスタジアムを建設するための土地を購入した。
スタジアムは2016-17シーズンより稼働予定である。

ユースアカデミーやスカウト体制も完全に整備された。
練習場では毎週のように、狭いスペースで選手の個人スキルを向上するためにフットサルが行われている。
コーチ陣は日によって違う年代を教えるためにローテーションされている。指導者個人の好き嫌いによって選手の成長を阻むのを避けるためだという。
また、地元アックスブリッジの高校とアカデミーの関係も構築されてきた。所属している練習生たちが一般社会に出ても問題がないようにとの配慮からだ。

グラウンドには、専門家によって土の健康管理が行われており、チャンピオンシップ所属の他クラブに例を見ない。
アレックス・プリチャードジョン・トラルをそれぞれスパーズとアーセナルのユースアカデミーよりローンで獲得し、センターフォワードには13-14シーズンにルートンタウンでプレーしたアンドレ・グレイを補強した。(※訳注 15-16シーズンはバーンリーに放出)


◇◇◇



ベナムは、ワンパターンで思慮に欠ける決断を容認しない。

オックスフォードに学び、プロのギャンブラーとして成功を収めた後、自らのベット会社を立ち上げた男にとって、知識とは単なる力ではなく、成功するために学ぶべきものであった。

「フットボールで何度も何度も目にしてきた自然現象がある。もし私がある選手の価値が知りたいと考えたとする。私はその選手のプレーを何百回も見てきた人間に話を聞こうとするだろう。フットボール界で多くの人間が行っているのは、たった40分見ただけでその選手を判断するということだ。彼らはよほど賢いんだろうね」

ベナムはまた、結果にとらわれることも嫌う。
3ポイントは彼にとって全てではない。ストライカーが何点決めたかで選手をスカウトしたりしない。
ベナムと彼のスタッフは、結果よりもパフォーマンスの数学的指標の方がより重要である。

「私はあるチームの勝敗や得点を決められるか否かだけを話すわけではない。なぜならそれらのスタッツの中には、我々が呼ぶところの『ノイズ』が数多く含まれているからだ。私はそのチームがどの程度の回数、どのレベルの質のチャンスを作り出せたか、それを見たい。もし私がストライカーを探すとする。私は彼の得点記録には全く興味が無い。私にとって唯一興味深いのは、その選手が入ったことで、そのチームがどの程度集団的なプレーをするか、攻撃面、あるいは守備面で、という文脈(context)なのだ」

この考えは、オールドスクールなフットボール関係者にとっては、最も退屈な教義であり、バカげた話に聞こえるかもしれない。
フットボールとは結果主義のビジネスであるという考えが、現在では深く染み渡っている。
ある種のオーナーに対し、最終的な結果よりパフォーマンス指標のほうが大切だと言うことは、斬新なアイディアではなくフットボールの冒涜と取られかねない。

もしかしたら、それが彼が成功した監督を交代した理由かもしれない。
ワーバートンは、ベナムが完全に信奉しているKPIs(重要業績評価指標)やスタッツ、アルゴリスムを拒絶した。この別離は不可避だった。


◇◇◇


ビジネスにおいて最悪なことは停滞であるという格言がある。
プレミアリーグのファンサイトや上層部で、監督の安定性が現在の流行語となっているが、ほとんどすべてのシチュエーションで安定性は傲慢さや独りよがりを生んでしまう。

アーセン・ヴェンゲルが19年にわたりアーセナルを率いているが、ヨーロッパの舞台では一度も成功できておらず、移籍においても酷く妥協的である。
15年間指揮を執ったアラン・カービシュリーの去ったチャールトンは、翌年降格した。

監督が全能のゴッドファーザーになるというロマンティックな考えは。ベナムの目指す監督職における完全分業制の織りなす壮大なパズルとは相容れないものだ。
ワーバートンはブレントフォードにおいて昇格とプレーオフ争いという素晴らしい成果を残した。
ことによるとベナムにとっても、最初のシーズンに最小の予算でワーバートンが偉業を達成した事実は予期せぬ喜びだったかもしれない。
しかし全ての偉大なギャンブラーが語るように、最高のギャンブラーは次の歩みを止めることが出来ない。


◇◇◇


もしあなたが、このベナムの青写真を体現しているクラブを知りたいと思うなら、デンマークのミッティランFCを見てみるといい。
ベナムが筆頭株主に座るこのクラブは、14-15シーズンにクラブ史上初めてデンマークのチャンピオンとなった。(※訳注 詳細については前回の記事を参照)

選手は集中して慎重にセットプレーを行い、ミッティランはヨーロッパで二番目に高いセットプレーからの得点率を記録した。
コーチはハーフタイムに分析担当者からテキストメッセージを受け取る。
その中にはチームが前半でプレーしたパフォーマンスが評価指標として記載されており。それを元に、ドレシングルームで話をする。
データ加工はクラブが、ロンドン、ロシア、そしてベルギーなどヨーロッパの各地において未発見の才能を持つフットボーラーを探し当てる糧となる。


◇◇◇


多くの人間は、ワーバートンと袂を分かったベナムの決断が、より大陸的でリスクの高いものだと考えるだろう。
しかし彼が自分自身の運命をいかに切り開いてきた人間であるかを見れば、彼の失敗に賭けるのはは分の悪いギャンブルとわかるだろう。

(校了)


◇◇◇


※ワーバートン解任とその後について


2015年の2月10日、The Times紙に掲載された記事はクラブに激震をもたらした。
内容は、ワーバートンが14-15シーズン終了後に退任するというものだった。
1週間後、クラブもその事実を認め、ワーバートンとアシスタントのデヴィッド・ウィアー、スポーティング・ディレクターのフランク・マクパーランド(リバプールの元アカデミー担当者で、2年前にロドルフォ・ボレルと同時にリバプールを去った人物だ!)がシーズン終了後にクラブを去ると公表した。
ベナムのクラブ運営プランとの相違が原因となった。

後の5月にワーバートンは、退任についてこう説明している。

「監督は選手を選び、最終的な決断をしなければならないと私は考えている。しかし、このクラブでは今後、数学的なモデルが監督の権限よりも強くなる方向に動いている。私がこのクラブにとって良いと考えることは確かにある。しかし、マシューはオーナーであり決断をするのは上層部だ」

退任発表直後、ブレントフォードはワトフォードとチャールトンに連敗を喫するなど、その後は立て直しプレーオフに進出。大差でミドルスブラに敗れたものの、2部リーグの5位という順位は1934-35シーズン以来クラブ史上最高となるものであった。
ボロとの試合後、ワーバートンは次のように語った。

「今夜は我々が最高のチームではなかったが、選手たちは全シーズン通して素晴らしかった。彼らはここからさらに飛躍できるだろう。願わくば、私がここに来た当時より、クラブの状況が健康的な物となってくれていることを」

その後、ワーバートンはスコットランド2部に所属しているグラスゴー・レンジャーズの監督として3年契約で招聘。
かつてレンジャーズのキャプテンも務めたことのあるデヴィッド・ウィアーもアシスタントとして連れて行った。
12節終了時点で、11勝1敗で首位に立っており、来季のスコティッシュ・プレミアリーグ復帰が期待されている。

コメント