フットボールの話をしよう -ルフ・ホジューフと上部シレジア、アイデンティティの拠り所





「私たちはドイツ人でも、ポーランド人でもない。シレジア人だ」

これは、現在は南ポーランドに位置する工業地帯、上部シレジア地区に居住するシレジアにルーツを持つマイノリティの人々が繰り返し主張する言葉だ。200万人もの人口を抱える上部シレジア地区は、ヨーロッパの中でも最も巨大な都市圏の一つに数えられている。
何年もの間、この人口密集地帯はドイツとポーランドの国境をまたいで存在しており、かつてその最大都市であるカトヴィツェと近隣都市のソスノウィエツはドイツ帝国とポーランド共和国に隔てられていた。

第一次大戦後、国際連盟によってこの地域の命運は住民投票によって決定付けられた。その結果により、西上部シレジアがドイツに残り、東上部シレジアは第二ポーランド共和国に残った。ドイツがポーランドへ侵攻した1939年、ポーランド側の上部シレジアも第三帝国に併合され、多くのシレジア人達がドイツ市民となった。

二次大戦後、ヤルタ会談によってこの地域の国境線が再規定された。
それは、ポーランド人民共和国が上部シレジア(この地域は歴史的に常にポーランドの一部と考えられてきた)と下部シレジア(大部分がドイツの支配下にあった)の両方を迎え入れるというものだった。ドイツ民族と、第三帝国と闘った多くのシレジア人達は、シレジア地域からの退去を余儀なくされ、多くのポーランド人達が現在はウクライナにあるリヴィウのような東の地域から移住してきた。


◇◇◇


今回はフットボールとシレジア地方に関する不定期連載の4回目。


【第1回】フットボールの話をしよう - ヴィスワ・クラクフと1.FCカトヴィツェ ~ポーランドを分けた戦い~


【第2回】フットボールの話をしよう - ポーランド、ドイツ、上部シレジア 帰属意識の隘路の中で


【第3回】フットボールの話をしよう - ポーランド総督府下のフットボール ~正史、外史、偽史~


◇◇◇



1956年、共産党政府はヨーロッパ最大規模となるホジューフパークに120,000人のキャパシティを持つシュタディオン・シロンスクを建造した。このスタジアムでは、ポーランド代表最大のホームスタジアムとして数々の試合が行われてきた。特にその対戦相手として多かったのがイングランド代表で、1966年、73年、89年、93年、97年、そして最近では2004年に国際試合の舞台として選ばれた。

また、ここにはマンチェスター・ユナイテッドも訪れたことがある。1968年のヨーロピアンカップ準々決勝でグールニク・ザブジェと戦い、1-0で敗れた記録が残っている。

共産党政権下では上部シレジアのクラブがポーランド国内を支配しており、42度のシーズン中二6ものタイトルを勝ち取った。1968-69シーズンには、トップリーグに所属する8チーム中6チームがシレジアのクラブだったこともある。

1989年のシーズンのトップ3はルフ・ホジューフGKSカトヴィツェ、グールニク・ザブジェだったが、共産党政権転覆後、シレジアのクラブは一度もリーグ制覇を成し遂げていない。また、シュタディオン・シロンスクもまた、2012年のEURO開催地から外されてしまった。

かつてフットボールの名門と謳われ、代表チームの本拠地でもあったこの地域は、現在では暗闇の中へと放り込まれてしまった。経済的にはポーランド最大の大都市圏であるという事実にもかかわらず、現在この地域のフットボールは歴史の塵に埋もれてしまっている。


◇◇◇


そんな中、シレジアはかつての古き良き時代へと逆行する動きを見せ始めた。

その一つが1.FCカトヴィツェの女子チームが再結成されたという事実であり、さらにはシュタディオン・シロンスクのカラーリングがポーランド代表を表す赤と白から、シレジアのカラーである黄色と青へと変更したことでもある。
どちらも、シレジア地方のフットボールにおける輝かしい歴史を誇りとするものであり、自らのアイデンティティを示すものだ。

最も顕著に目立つ運動がルフ・ホジューフの熱狂的なテラス席 で行われている。
彼らは何年もの間シレジアを国として捉えるような横断幕をスタジアムに掲げている。
それは"To My Naród Śląski"(ポーランド語で「我らシレジア国」)や"Oberschlesien"(ドイツ語で「上部シレジア」)、そして"Dziś Kosovo: Jutro Śląsk"(「コソヴォの次は我らシレジアだ」)といった内容である。

クラブの公式マスコットの黄色い隼は、「アドラーレク」と名付けられている。
通常、ポーランドの隼は白であり、ポーランド語では「オジェウ」と言う。黄色い隼はシレジアのシンボルであり、「アドラーレク」はシレジア方言だ。それはドイツ語で隼を意味する「アードラー」に由来する。



 ※ルフ・ホジューフのマスコット、アドラーレク

ルフ・ホジューフの激しいサポーターたちは、その多くがシレジア地方でも最も伝統的な大工業都市であるホジューフやシャミャノヴィツェ・シロンスキェニキソヴィエショピョニツェなどの出身と言われており、その事実がスタジアムで起こる急激なシレジア人アイデンティティ昂揚の一因と言われている。彼らはまた、古くから使われるシレジア方言を日常的に話している。


◇◇◇


1989年以降、ルフが最もタイトルに近づいたのは2011-12シーズンだった。
彼らはシロンスク・ヴロツワフに次ぐ2位に滑り込んだ。

このシーズン、最終的に3位に終わったレギア・ワルシャワが殆どの時間を首位で過ごしており、生誕祭に行われたルフとのホームゲームでお互いに勝点1を分け合った時点でもその状況は変わらなかった。

ルフはこの試合に勝利することはできなかったが、シーズン途中から調子を上げ、優勝争いに絡んでいった。そして、彼らにとって新たなタイトルは何より重要でファンが熱心に欲しているものだった。15度目の戴冠となれば、地元ライバルであるグールニク・ザブジェを抜き去り、ポーランドリーグで最も成功したチームという高みへと彼らを押し上げることになるのだ。
先述の通り、1989年以来ルフとグールニクは互いにリーグタイトル14で足踏みをしていた。

生誕祭の一戦にもう一味別の香味料を付け加えるとすれば、レギアは軍が母体となって成立したチームであり、ファンは極右集団として名を馳せていたことだろう。
彼らは自らの政治信条をスタジアムへ持ち込むことを厭わない。2011年のヨーロッパリーグで対戦したイスラエルのハポエル・テルアビブ戦(彼らは左派として知られる)では、「ジハード・レギア」(レギアの聖戦)というバナーを出したほどだ。
加えて、レギアはソスノヴィエツやドンブロバに多くのファンを抱えていた。歴史的に、上部シレジアにありながらポーランドのアイデンティティを訴えてきた地域だ。

もしもルフ・ホジューフを「ポーランドのバルセロナ」とするなら、レギア・ワルシャワは「ポーランドのレアル・マドリー」と呼ぶべきクラブだ。
この一戦は単なる試合ではなく、いわゆるシックスポインターの枠をも超えていた。

ルフはシーズン終盤の9試合を無敗で終え、レギアよりも上の順位に立った。
シレジア自治運動のリーダーであるイェルジ・ゴルツェリクは、ルフの4倍の予算を持ちながら3位に甘んじたレギアを"postkomuchami"(共産主義の残党に対する蔑称)と罵った。


ルフとレギアは2012年のポーランドカップ決勝で再び相見えた。
国歌斉唱が始まる前から試合終了までの間、ルフのサポーターたちは徒党を組んで"Górny Śląsk"(上部シレジア)と叫び続けた。



◇◇◇


特定のフットボールクラブ、さらに言えば彼らに取り巻く特定の都市群が共産主義後の甘い利益を享受している状況は、シレジア地方でローカリズムが発生し地元民たちの支持を受けている事実を理解する為の重要な鍵となるだろう。
彼らが、かつてポーランドリーグを制した上部シレジアのチームよりも多くの予算を持っているという状況は、ルフやグールニク、GKSがリーグ中堅に甘んじている最大の要因であり、ポーランド国内経済の縮図でもあった。

1989年以降ポーランドリーグを制してきたのはポズナン、ルビン、ワルシャワ、ウッチ、クラカウ、ヴロツワフのチームであり、ユーロ2012の開催都市はワルシャワ、ヴロツワフ、ポズナン、グダニスクだった。ルフのサポーターがシレジアでのアイデンティティを育み、ポーランド国家に敵対心を抱くに十分な状況と言える。


◇◇◇


もちろん、上部シレジアはカタルーニャではなく、ルフ・ホジューフはバルセロナではない。
しかし、 彼らは彼らにしか出来ないフットボールの作法で政治へ関与し、苦情を申し立て続けている。

ヨーロッパの各地で、類似・相反した形でフットボールクラブとローカリズムの関係性を見出すことが出来る。シャフタール・ドネツクは、フットボールクラブへの巨額投資がいかに地域に恩恵を齎すかを示した。ドイツでは、ルール地方の住民の代弁者としてドルトムントやシャルケが存在している。


◇◇◇


ルフのサポーターが、ただ単に自らの不遇を嘆き、誰かの責任にするだけならば、それは誤りと言える。

かつて1922年から39年の間ポーランド共和国内に存在したシレジア自治政府により、地域はポーランドで最も豊かな経済状況となり、フットボールを含む地元への投資も行われた。そのことが、シレジア地方の各クラブがポーランド強豪へと成り上がった要因でもあった。
かの時代、多くの上部シレジア住民たちは自らを「シレジア人」と規定することも無かったという。

現在、フットボールの状況とは反対に、都市圏は工業都市として着実な成長を遂げている。
もしもその豊かな資金をフットボールクラブへ投資することができれば、近年のトレンドに新たな一石を投じるものとなるかもしれない。

(校了)

元ネタ:THE 'POLISH BARCELONA': THIS IS RUCH CHORZÓW

コメント