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2014年に起こり、現在もなお続いているクリミア危機は多くのフットボールクラブに自らのホームタウンからの退去を強いており、放浪を免れたクラブもピッチ上で行われる美しい試合の最中にスタジアム付近で軍事衝突が発生するリスクに苛まれている。そのようなクラブの一つがFCマリウポリである。
フットボールは時に現在の困難を忘れさせ、90分という 僅かばかりの熱狂を人々に届ける。あるひとつのクラブを応援するという感覚は、他の何にも換え難いものだ。サポーターは情熱を迸らせ、その空気が他でもないスタジアム内に充満する。
そしてその情熱が伝播し、クリミア危機のフロントラインとなっているマリウポリの街に、紛争を抜け日常を取り戻そうとする微かな希望へと昇華している。
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アゾフスタル・ジダノフの手で1960年に創設されたクラブは、過去60年弱の間に数度その名を変えて現在はFCマリウポリとして知られている。長期化した内戦によりロシアに支援された分離派がマリウポリの街を占拠し、その結果2013-14年シーズンを最後に彼らは流浪の民となった。
2014-15年シーズンより本拠地をドニプロペトロウシクへ移しクラブ自体の存続は叶ったものの、移転の衝撃は彼らのパフォーマンスに影響を与えた。シーズン通してわずか勝点14しか獲得できず、2部のペルシャ・リハへの降格を余儀なくされてしまう。
戦線が東へ移動するにつれ、マリウポリへの帰還の目処が立った。自らのルーツへ立ち返り、日常を取り戻すことは街にとってもクラブにとっても、どうしても必要なことだった。
ペルシャ・リハで2シーズンを過ごした彼らは、初年度4位で終えた後、2016-17年シーズンには優勝を勝ち取りトップリーグへ返り咲く。ついにあるべき場所へと戻ったと、クラブに関わる誰もがそう考えただろう。
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脱共産主義のための新条例により、国内の共産主義に関連する名を持つ都市や組織は、名称を変更することとなった。2017年4月に行われたファン投票により、かつてFCイリチヴェツ・マリウポリという名を冠したクラブは、ただ単に「FCマリウポリ」として再生した。6月のことだった。
名称変更と時を同じくして、FCマリウポリはエンブレムも一新した。18番目となるクラブ名(そしてそれは恐らく今後二度と変わることのないであろう)と新たな象徴を得た彼らの新たな時代の幕が開いた。至近距離で紛争が繰り広げられている中にあっても、クラブも街も死の恐怖を恐れず、そこに希望を見出した。
2017-18年シーズンの初戦となったのは、NKヴェレス・リウネとの試合だった。戦前の予想では彼らに分があると見られており、実際のところ素晴らしいパフォーマンスで選手たちはグラウンドを駆けたが、勝利で飾ることはできなかった。しかしマリウポリのトップリーグへの帰還は、単にフットボールの試合というわけではなく、住民を活気付け、希望を与えるものだった。
マリウポリの最初の勝利はFCチョルノモレツ・オデッサ戦に訪れた。セルヒ・ヴァクレンコとルスラン・フォミンの決めたゴールがチームに活気を齎した。大きな弾みをつけて臨んだ次節のシャフタール・ドネツク戦では、彼らはリーグ最高と言えるチーム相手に困難な仕事を堂々とこなす。結果1-3で敗れたものの、シーズン通じてパフォーマンスは安定している。
なにより、マリウポリの人々にとってフットボールクラブが我が街に存在すると言う事実以上にかけがえのないものはないだろう。
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順調かに見えたマリウポリのシーズンは、思わぬところで議論の的となる。対戦相手のディナモ・キエフがイリチヴェツ・スタジアムでの試合を拒否したのである。
ディナモ側は、今なお繰り広げられる戦闘に巻き込まれる可能性を懸念していた。クリミア危機の最前線とマリウポリの街は20kmほどしか離れていないが、マリウポリの街自体はすでに平和と日常が戻っている。ウクライナ軍によって守られた街では、人々は通常の生活を取り戻していた。2015年に政府が主導権を握り、マリウポリでは企業や学校が活動を始め、交通機関も運行している。
事実、2015年に本拠地帰還を果たしてから、試合開催面で何の問題も起こってはこなかった。
しかし、キエフ側はそれでもマリウポリでの試合開催を拒んだ。
報道によると、キエフはマリウポリでの試合開催が何の問題もないという、確かな機関による保証を要求した。ウクライナ・プレミアリーグのルールでは、この場合はマリウポリ側がそうした書面を準備し、試合が安全に開催出来るよう動かなければならない。警察を招集してマリウポリ市内の安全を担保するか、さもなくば安全に試合を行うことのできる代替地を用意する必要があった。
結果的にクラブは各所への手配を済ませマリウポリでの開催を決断するが、これに対してもディナモは異議を唱えた。曰く、ウクライナ国内のルールはFIFAが定めた安全担保の条件を満たしていないと言う。FIFAのレギュレーションでは、主催クラブが試合開始前に特定の安全条件を担保する推薦状を、セキュリティ機関に発行してもらわなければならない、とされている。
マリウポリは国家安全局、ウクライナ国内の警備企業、そして内務局の三方からの推薦状をディナモ側へ送付した。国家安全局の関与により、有事の際のクラブ側の主導権は制限される。さらに民間警備企業は開催地に万全の状態を提供してくれる。内務局は、この試合が他のどこでもなく、マリウポリ市内で行われるべきものであることを強く推薦した。その上で、政府はこの試合を祝日期間の間に行うべきであると提言した。
更には警察長官と内務局長官のお墨付きと公安部隊による警護、スタジアム入場時のセキュリティチェックの徹底、試合当日のプロトコル作成、政党の支援などが加わり、試合決行まで万全の準備が行われた。こういった措置は、今までキエフでは行われたことがない。
しかし、ここまできてもディナモは首を縦には振らなかった。
彼らはさらに固い、鉄の保証を要求してきた。この状況に、ウクライナフットボール協会会長のアンドレイ・パヴェルコが乗り出す。状況はフットボール協会の懲罰委員会に委ねられる事となった。キエフ側は更なる法廷闘争も辞さない構えで、今季中にこの問題が解決しない可能性も出てきた。協会の介入で、2クラブ間の問題がウクライナフットボール界全体の問題となってしまった。
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クリミア危機によってまったく違う環境に置かれたのは、マリウポリだけではない。ウクライナリーグにもロシアリーグにも参加できないクリミアの数クラブは、UEFA主導で現在もクリミア・プレミアリーグを細々ながら戦っている。
戦争は現実もフットボールの形も、大きく変えてしまう。しかし、どのような形で解決されるにせよ、フットボールが死に絶えることはない。スタジアムに人々が集う限り、彼らは情熱と希望の歌を歌い続けるのだ。
(校了)
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