フットボールの話をしよう - ビートを刻め ~ 悠久の風の物語


ジャズの明確な定義は難しいものだ。しかし、一般的には即興とシンコペーション、そして力強いリズムに彩られた音楽だと言われる。
そもそもの発祥は20世紀初頭に黒人労働者が奏でたラグタイムミンストレルショウを揺り篭として生まれたもので、ニューオーリンズなど米国でジャズ演奏活動が隆盛となったと言われている。
禁酒法の時代が訪れ酒場がアンダーグラウンドへと移行するにつれ、ジャズは米国全土へと広がっていった。そのため、第一次大戦後から大恐慌までの時代は「ジャズ・エイジ」と呼ばれている。

そのような音楽がフットボールのクラブ名になってしまうということを、誰が想像しただろうか?

些事を気にせぬ者でもこのつながりは珍奇に思えるだろう。
しかし、実際にそれは起こった。

ヘルシンキから300km離れたフィンランドのポリという街で1934年に産声を上げたFCポリン・パロ=トヴェリト(PPT)がクラブ名を「FCジャズ・ポリ」と変更すると、当時の新聞にはこのように書きたてられた。

「改名はとんでもなく酷いものだ。誰一人として喜びはしない。なぜPPTではいけなかったのだろうか?」

現在では、人々はこのFCジャズ以上にこのクラブに合致した名称を想像できないだろう。
とりわけ、彼らの歴史を知ってしまった後には。


◇◇◇


ポリはフィンランド南西部、サタクンタ県に位置している。
ボスニア湾岸に面する潮騒の街で、中心には控えめながらも美しいベージュ色の庁舎が凛と佇んでいる。
フットボール以外には「バンディ」と呼ばれるフットボールとアイスホッケーの相の子のようなウィンタースポーツが盛んで、住民たちは極寒の大地でアイスリンクの張られた屋外スタジアムに集う。

しかし、ポリは何を差し置いても「ジャズの街」として世界的に知られている。
この地で毎年7月中旬に9日間をかけて催される「ポリ・ジャズ」はヨーロッパ最大のジャズの祭典で、人口わずか8万人の街に、全世界から40万人を集めるモンスターイベントとなっている。

この小都市に誕生したFCポリン・パロ=トヴェリトは、その歴史の間にいくつかの特筆すべき成績を残したが、たいていはそのゆったりとしたリズムの歩みが歴史の表舞台に上ることはなかった。

彼らの音調が変化したのは1979年のことだった。
ポリ・ジャズ・フェスティバルにディジー・ガレスピーB.B.キングソニー・ロリンズトニー・ウィリアムスといった現在でもジャズ史に燦然と輝く伝説の奏者たちが訪れたこの年。

クラブの責任者が「プロジェクト84」を立ち上げ、1979年から1984年までの5年間で、フィンランドのトップリーグへ上がる計画を開始したのだ。

その計画に呼応するかのように、クラブは素早くビートを刻み、3年間で一気に3つのディビジョンを駆け上がった。
この時代のPPTは、主に中位でシーズンを過ごしたが、しっかりとトップリーグへの定着を果たすことに成功した。
1989年には降格の憂き目に遭うが、1990年にトップリーグが「ヴェイッカウスリーガ」という新たなブランド名になったことで、翌シーズンも運よく生き残りに成功した。

そして、バックグラウンドでリズム隊によって奏でられたクラブの歴史に、金管楽器の音色が聞こえ始めた。


◇◇◇


翌年、何を思ったかPPTはクラブ名を「FCジャズ」へと改名。
命名は、もちろんポリの街が世界に誇るイベントから取られた。
前述の通り、地元の新聞記者でさえ首を傾げた狂気の沙汰は、しかし確実にクラブの歴史の転調に寄与したと言える。

世界中からジャズファンを集めるポリ・ジャズ・フェスティバルの熱狂が、クラブに乗り移ったのかもしれない。
そして、彼らの今のところ唯一といって差し支えない成功期が訪れた。

1993年には、最終的に2位で終わった前年のリーグ戦覇者MyPaをホームグラウンドに迎え、6-3で蹴散らすとヴェイッカウスリーガのタイトルを掻っ攫った。
その試合には、ほぼ満員の11,000人が観戦に訪れたという。街の人口の8人に1人が歓喜の瞬間を見届けたことになる。

スタジアムに人が集まるようになり、次第にハーモニーが聞こえ始めてきた。

さらに3年後、ジャズは彼らにとって2度目のリーグタイトルを戴冠した。
優勝決定戦の対戦相手はヴェイッカウスリーガ設立後は継続的にトップリーグに定着しているFFヤロで、1-0で彼らを破った。

この間はリーグ戦上位のクラブとしてUEFAカップや欧州CLなどの主要大会にも顔を出すようになり、それなりの成績を残した。フェイエノールト1860ミュンヘンディナモ・モスクワなど、欧州大会の常連クラブと顔を合わせセッションを奏でる機会もあった。


◇◇◇


1999年、ジャズはクラブを次のステップに進めるため、銀行からの融資を決定した。
「悠久の風のスタジアム」との二つ名を持つポリ・スタジアムには新たなスタンドが増設され、投光照明が導入された。フィンランド特有の大雪に備えてアンダーグラウンド・ヒーティング設備の購入や新たな人工芝の張り替えが行われた。

しかし、この彼らの野心的な活動は、ジャズというクラブの予算規模に不釣り合いなものだった。

2003年までに積み重ねた巨額の負債に対し、彼らは全力で対処しようとしたものの、結果は実らなかった。そして2005年に、70年以上続いた小さな街の奇妙なクラブは解散することとなってしまった。

ジャズの音楽が鳴りやみ、一瞬の静寂が訪れた──かに思われた。

FCジャズは2002年に、彼らの子供たちを生み出していた。
FCジャズ・ジュニオリトと名付けられたそのチームは、クラブ解体後もひっそりと活動を続けていた。

ジュニオリトは2006年にフィンランド5部リーグへ参戦し、2007年には優勝して昇格した。
さらに2010年、3部リーグ(カッコネン)へと駆け上がった。このシーズンより少年たちは「FCジャズ」を再び名乗り始める。

一度鳴りやんだはずの音楽が、また聞こえ始めてきた。

2011年シーズンに6位、2012年に2位とシーズンを追うごとに順位を上げてきた彼らは、2013年、ついにリーグ戦を1位で終え、昇格プレーオフへの出場権を得た。
4地域のリーグ王者が2つの昇格枠をかけて戦う2レグ制の最終決戦だ。

同じくフィンランド南岸に居を構えるエケネスIFとの対戦が決まったジャズは、初戦をポリで迎えた。
かつて11,000人を集めた悠久の風のスタジアムには3,000人とわずかな観客が駆け付けたのみだったが、一進一退の攻防を繰り広げて2-2のドローでラーセポリでのアウェーゲームに臨んだ。

そして、第1戦で2得点を喫した選手が前半わずか18分で退場するという幸運にも恵まれ、試合は2-0で翌シーズンのウッコネン(2部リーグ)昇格をその手につかんだ。


◇◇◇


多くのジャズファンの望みは、ポリという小さな街で第一のフットボールクラブの座を取り戻すことだろう。
ジャズが憂き目にあっている間、ポリではポリン・パロイリャート(PoPa)が台頭し、優位を保っている。

新生ジャズのステップは、かつてのプロジェクト84よりもゆったりとしたリズムを刻んでいる。

しかし彼らは現在でもなお、古き良きジャズのメロディが流れるように、20年前に築き上げた栄誉を取り戻すべくフィンランドの小さな街で奮闘を続けているのだ。

(校了)

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