とあるフットボーラの肖像 - 「叫び」を盗んだ男

(写真は2022年12月に私がムンク美術館で撮影した『叫び』のバージョンの1つ)

プロローグ:オスロの夏、幕引きの報

2024年6月29日、ノルウェーの首都オスロ。湿り気を帯びた重苦しい夏の空気の中で、一人の男が57年の生涯を閉じた。男の名はポール・エンゲル。かつては名門クラブの芝を蹴り、将来を嘱望されたフットボーラー。そして、世界で最も有名な「叫び」を白昼堂々と盗み出した、希代の美術泥棒である。

エドヴァルド・ムンクが描いた、あの根源的な恐怖と絶望を体現する傑作。そのキャンバスに魅入られ、国家を揺るがすスキャンダルを引き起こした男の人生は、スポーツの栄光と裏社会の乾いた硝煙が交錯する、一篇のハードボイルドな叙事詩であった。彼はピッチの上で英雄になる代わりに、額縁の中から歴史を盗み出す道を選んだ。その数奇な歩みは、冷徹な筆致で記録されるべき運命の物語である。

◇◇◇

緑のピッチと裏社会の誘惑:血塗られた才能

物語の起点となるのは1985年、エンゲルが18歳の時だ。彼はノルウェー屈指の名門、ヴォレレンガでプロデビューを飾る。UEFAカップ1回戦、対戦相手はSKベフェレン。リバプールで黄金時代を築いたデヴィッド・フェアクラフの一撃で敗戦を喫した試合だった。

期待の若手として18歳にしてヨーロッパの舞台でトップデビュー。ミッドフィールダーとして戦術の要となり、ゲームを組み立てるその足元には、輝かしい未来が約束されているかに見えた。

しかし、スタジアムの眩いライトの下で流す汗の裏で、彼の魂には別の影が差していた。エンゲルの幼少期は、義父による凄まじい暴力という「叫び」に満ちていた。彼にとってフットボールは、薬物や暴力が支配するスラムの日常から抜け出す唯一の出口であったはずだが、同時にその心は、より暗く、より強い刺激を求めていた。

彼は映画『ゴッドファーザー』の重厚な虚無と暴力の世界に心酔した。練習場には、前日に盗み出したばかりの高級車で乗り付け、チームメイトを驚愕させる。エンゲルにとって、ピッチでゴールを決める快感は、裏社会の「仕事」がもたらす報酬とスリルの前ではあまりに淡白だったのだ。彼はアスリートとしての節制を嘲笑うかのように、犯罪という名の危険なゲームにのめり込んでいった。

◇◇◇

1988年:最初の誤算と『吸血鬼』の蜜月

エンゲルが初めてムンクの『叫び』に狙いを定めたのは1988年のことだ。彼は修学旅行でかの名画を目にして以来、作品に心を奪われていた。だが、この最初の犯行は、ハードボイルドな物語に特有の「奇妙な誤算」から始まった。

オスロ国立美術館に侵入した際、計算違いから彼は目当ての『叫び』ではなく、その隣に掛かっていた『吸血鬼(愛と痛み)』を手に取ることになる。当初、彼はこの間違いに数日間ひどく落胆したという。しかし、盗み出した名画を、自ら経営するプールバーの天井裏に隠したことで、彼の歪んだ虚栄心はこれまでにない充足感を得ることになった。

そのバーは、非番の警官たちが酒を飲み、玉を突く憩いの場でもあった。自分のわずか1メートル上の天井に、国家が血眼になって探している至宝が眠っている。それを知りながら、法を守るべき男たちに冷えたビールを出す。エンゲルはその光景を、乾いた優越感とともに眺めていた。

「彼らは自分たちのわずか1メートル上にそれが掛かっているとは知らない。最高の気分だった」

だが、その蜜月は長くは続かなかった。共犯者が情報提供者に口を割ったことで、エンゲルは逮捕される。4年の刑期。それが彼のキャリアに刻まれた最初の大きな敗北だった。

◇◇◇

1994年:凍てつく五輪、50秒の完全犯罪

1994年2月12日。ノルウェー中がリレハンメル冬季五輪の開会式という熱狂に包まれていたその日、エンゲルは冷徹な復讐を完遂する。警備の目が五輪会場へと向けられ、警備体制が手薄になった隙を突いた、白昼堂々の強奪劇である。

午前6時30分、エンゲルと仲間の一人は国立美術館の壁に一本のはしごを立てかけた。窓を割り、侵入し、壁からキャンバスを奪い去る。その間、わずか50秒。世界で最も価値のある5500万ドルの絵画が、雪の舞うオスロの街から姿を消した瞬間だった。

現場には、警察を嘲笑うかのような一枚のメッセージが残されていた。

「お粗末な警備に感謝する(Thanks for the poor security)」

この大胆不敵な犯行は、国家的な祝典に冷や水を浴びせ、ノルウェー政府にとって消し去ることのできない屈辱的なスキャンダルとなった。エンゲルはついに、フットボールでは得られなかった「世界的な知名度」を、犯罪という手段で手に入れたのである。

犯行後、エンゲルの行動はさらに傲慢さを増していく。彼は自分の息子が誕生した際、地元紙の広告欄にこう掲載した。「(息子が)叫びと共に生まれた」。それは暗黙の犯行声明であり、捜査機関に対する宣戦布告だった。さらに彼は、匿名で警察に「絵画は俺の車の中にある」といった偽のチップ(ヒント)を送りつけ、翻弄される捜査官たちの姿を遠くから楽しんでいた。

しかし、その不敵さは時としてあっけない幕切れを呼ぶ。ノルウェー警察はスコットランドヤード(ロンドン警視庁)の協力を仰ぎ、美術商を装った潜入捜査官を送り込んでエンゲルが雇った窃盗犯との接触に成功。その繋がりからエンゲル自身を銃器関連法違反と窃盗の容疑で逮捕したのである。1994年の強奪から数ヶ月後のことだった。名画はエンゲルの実家の秘密のコンパートメントから、無傷の状態で発見された。映画『ゴッドファーザー』のような隠し部屋に、彼が子供の頃から執着し続けた「叫び」は静かに収まっていた。

懲役6年半は、この類の判決としては異例の長さだった。

◇◇◇

後半生:泥棒から表現者へ、そして凋落

出所後も、エンゲルは犯罪の引力から逃れることができなかった。2015年、彼はオスロのギャラリーから17点に及ぶ絵画を窃盗した。しかし、かつての「50秒の天才」の面影はそこにはなかった。現場に自分の財布とIDカードを置き忘れるという、あまりに無様でパセティックな失態を演じ、逮捕されたのである。

一方で、彼は塀の中で筆を握り、自らを描写する側に回った。2011年には抽象画の個展を開き、アーティストとしての顔を見せる。かつての弁護士は、彼を「ジェントルマンな泥棒」と呼び、ヴォレレンガの広報は、その死を惜しみつつも乾いた回想を口にした。 

「彼は最高の選手ではなく、最高の犯罪者になる道を選んだ」

かつてピッチで期待された創造性は、キャンバスを盗むための計画と、皮肉にも後に描かれた自身の抽象画へと昇華された。しかし、その根底にあったのは、義父の暴力から逃れたいと願った少年時代のままの、癒えることのない「叫び」だったのかもしれない。

晩年のポール・エンゲルは、自らの人生を追ったドキュメンタリー映画『The Man Who Stole The Scream』の中で、衰えを知らない眼光とともにこう言い放った。

「私は歴史を作った。これはクールな物語だ」

彼はフットボールの神殿に名を刻むことはできなかった。しかし、人類の至宝を一度はその手に収め、国家を震え上がらせた男として、その名は永遠に語り継がれることになった。

2024年6月。57歳で幕を閉じたその生涯は、彼が愛したノワール映画のエンディングのように、どこか孤独で、救いようのない虚無感を残して完結した。彼が盗み、愛し、そして失った「叫び」は、今も厳重な警備の下で、世界中の視線を浴びている。それを50秒で盗み出した男の、冷めた吐息がまだどこかにこびりついているかのように。

(校了)

コメント