フットボールの話をしよう - 禁じられた遊び

2022年2月22日現在、ロシアとウクライナ間の関係に緊張が高まっている。未だ予断の許さない状況だ。

「フットボールは人生よりも大切だ」と過去の賢者が言った。だが、大規模な戦争が行われている中、最も優先すべきは人命であり競技など二の次であることは言うまでもない。

このような状況だからこそ、改めてロシアとウクライナのフットボールにおける関係史を紐解きたいと思い筆を執った。

雑多な情報ばかりで恐縮だが、彼らの紛争が世界のどこか別の場所で行われている無関係なものではなく、フットボールファンとして「これは私達の物語だ」と感じていただける方が1人でもいらっしゃれば幸いだ。

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ウクライナとロシアのフットボールのライバル関係の歴史は旧ソ連の崩壊後に始まったわけではなく、その物語のエピローグはウクライナがソビエト連邦の赤い旗の傘の下に所属していた時に書かれたものだ。長きに渡ってロシアとウクライナのビッグクラブたちは、1800試合以上もの対戦を重ねてきた。地政学的に見ればディナモ・キエフやシャフタール・ドネツク、ドニプロ・ドニプロペトロウシク、メダリスト・ハルキウ、ザリア・ヴォロシロフグラード(現在のゾーリャ・ルハンシク)、チェルノモレツ・オデッサと6つのトップクラブがモスクワの3クラブ(CSKA、ロコモティフ、トルペド)やゼニト・サンクトペテルブルクらと覇を競い続けてきた。

フットボールのスタンドに駆けつけるファンたちは、常にウクライナの民族性と国家独立を歌い続けた。1920年代にはその運動の端緒が開かれたことが明らかになっている。その後培ってきたウクライナフットボールの芳醇な歴史によって、親ウクライナ派と独立運動家たちはこぞってスタジアムに足を運ぶようになった。

現在のウクライナ独立の機運は1961年に激化が始まったと見られている。ちょうどディナモ・キエフがソ連チャンピオンシップで初めて優勝したときのことだ。それまでモスクワを拠点としないクラブがこの栄冠を掲げたことはなかった。ウクライナ6クラブのファンたちは非公式で反ソビエト協定を結び合い、「国旗は青と黃だ」「ウクライナ・フリー」といったチャントを歌い、「祖国は独立すべき」と書かれた横断幕をスタジアムで掲げた。

現在では政治的緊張のためUEFAによって試合開催が禁じられているが、直近で両者が対峙したのは2000年の欧州選手権予選トーナメントでのことだった。

ファーストレグ、キエフのオリンピックスタジアムで行われた一戦には82,000人のファンが駆けつけ、ウクライナを3-2の勝利に導いた。セカンドレグは両国ともにストレートインの立場を失っており、プレーオフの参戦権を争う戦いだった。会場のモスクワ・ルジニキスタジアムにはウラジミール・プーチンを含む80,000の観衆が詰めかけたが、結果はドローに終わりウクライナが出場権を得ることになった。

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2005年から2006年に起こったオレンジ革命の間、ロシアがウクライナを経由した天然ガス輸送を停止した。これは西ヨーロッパ諸国へのエネルギー安全保障政策に大きな影響を与えた。ドイツとの協定の下ノルド・ストリームが新たに建造、稼働することになり事なきを得たが、西側でのロシアの評判は地に落ちることとなった。

ロシア国営企業・ガスプロムはそのネガティブイメージを払拭するため、フットボールを活用するアイディアを思いついた。シャフタール・ドネツクやウクライナのクラブが躍進し大陸間のトーナメントで華々しい成果を勝ち取っていた一方、モスクワのクラブは多額の投資が行われたが目覚ましいマイルストーンはなかった。ガスプロムは、莫大な資金でゼニトを強化し始めた。そして2007年にシャルケ04のスポンサーに、2012年からはUEFAチャンピオンズリーグの公式スポンサーとなった。

クリミアとドンバスで最初の銃撃戦が行われる前は、新たな伝統としてロシアとウクライナの交流戦が行われていた。この発案者はガスプロムの会長、アレクセイ・ミラーだった。2013年夏、シャフタールやディナモ・キエフ、ゼニト、スパルタクなどのクラブが一同に介し「統一トーナメント」と呼ばれる親善大会が開かれた。試合はモスクワとキエフで行われ、第1回優勝チームはディナモ・キエフだった。第2回も2014年冬に開かれたが、政治的緊張のため試合自体はイスラエルで行われた。優勝チームはシャフタールだった。結局、この年を持って大会自体は立ち消えとなった。

ルハンシク、ドネツク両州では、ウクライナからの自治とロシア編入を望む声が大きくなり、市民の抗議の声が大きくなっていた。ロシア人の人口が多いクリミアでも同様の動きが現れ、「リトル・グリーンメン」と呼ばれる覆面兵士たちがロシア製の武器を身に着け街を牛耳った。クリミアではロシアの特殊部隊が併合に深く関与し、クリミア共和国の権力は親ロシア派の政治家に握られた。2014年3月18日、国際社会には認められなかったが、クレムリンはクリミアがロシア連邦の一部になったことを発表。4ヶ月後、UEFAはウクライナとロシアのクラブ/代表チーム同士が対戦することはできないと発表した。

2014年、クリミアはウクライナ・プレミアリーグのメンバーだったタブリヤ・シンフェロポリとFCサヴァストポリの本拠地だった。シーズン開始前、両クラブは解体されロシアフットボールのピラミッドの一部として組み込まれた。下部リーグでプレーしていたクリミアの他2クラブも同様の運命を辿り、4クラブ全てがロシア・プレミアリーグの3部に降格した。

ヨーロッパ諸国では反対意見がいくつかの国から表明された。UEFA内でのロシアのメンバーシップ剥奪を要求する声もあれば、2018年のワールドカップ開催停止を望む声もあった。UEFAはガスプロムのチャンピオンズリーグへの財政的支援が危機に瀕することを懸念し、この「国際政治」には干渉しないことを決めた。

結果、UEFAが導き出した解決策はどの陣営にとっても有益ではないもの、すなわち新たなフットボールリーグを結成するという妥協案だった。クリミア・プレミアリーグはUEFAによって管理された8チームで構成されたが、所属クラブはヨーロッパのトーナメントへの参加権を持たなかった。タブリヤ・シンフェロポリが初代王者となったほか、これまでFCセヴァストポリが3度、FCエフパトリヤが2度の栄冠を獲得している。

リーグ自体、ファンの間で大きな人気を獲得しているとは言いづらい。ウクライナ・フットボール協会がクリミアでプレーするウクライナ人プレイヤーへの制裁を科すと脅迫したため、現在ピッチに立つ選手のほとんどがロシア人だ。

クリミア併合のプロセスの象徴的な結論として、クリミアのクラブがロシアスーパーリーグに適切に併呑されなかったことはロシア側にとって大きな問題と言える。一方クリミアのクラブはヨーロッパでもロシアでも、公式のUEFAの大会構造内で競争する権利を奪われ孤立した。

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2014年以降、ウクライナのフットボールクラブの状況として大きな問題となったのが選手の移籍だった。2016年にイェウヘン・セレズニョフがロシア・プレミアリーグのクバン・クラスノダールと契約を結んだ際、彼は自動的にユダとして扱われた。代表チームから放逐された彼は後に復帰することになるが、それはクバンとの契約が終了した後だった。2016年の欧州選手権においてもロシアでプレーしていた選手がウクライナ代表に招集されることはなく、ジンチェンコやブトコといった主力選手たちはこぞってクラブを切り替えることになった。

ドンバスでの戦闘が混沌とする中、ウクライナ国境の完全性を維持したい政府とモスクワに支援されている親ロシア派の分離主義者、ドネツクとルハンシクの間で大きな緊張がもたらされた。政治的不安定は3ヶ月続き、後に通常の武力紛争へと移行した。最も血なまぐさい戦闘の一つはドネツク空港で行われた。戦車と装甲兵員輸送車が用いられ、200人以上が死亡した。2014年7月17日にはドネツク人民共和国の戦闘機がマレーシア航空の飛行機を撃墜し、298名の死亡者を出した。両陣営の軍関係者だけでなく、民間人にも膨大な数の死傷者を出す戦争となってしまった。

このような状況下でフットボールを行うのは困難であろう。スタジアムから数100メートル離れた場所で戦闘が行われていればなおさらだ。シャフタールはホームグラウンドから1200km離れたリヴィウでの試合開催を余儀なくされ、2020年5月にはキエフ・オリンピックスタジアムに移動したが、欧州選手権のために4億ドルの費用をかけて建造された堂々たるドンバスアリーナは空のままだった。

だが、シャフタールは自らのアイデンティティを保つため最大限の努力を続けている。2018年に設立されたシャフタール・ソーシャル財団はクラブの活動を支える重要な要素となった。財団の活動を通じ、クラブは心身の健康と寛容、教育、男女平等などの価値観を示し続けており、最終的には社会的な排除と戦う決意を表明している。また、クラブが東側で試合を行えない場合であってもアカデミーの活動を続け、このことが地元の子どもたちやサポーターの集うコミュニティを形成した。

2019年には発展して「Come On, Let's play!」というチャリティが設立された。彼らの活動は国際的に認められ、欧州フットボール開発ネットワーク会議において「More Than Football」賞を受賞することになった。

長期的には、彼らの活動は特にウクライナ東部において住民たちのアイデンティティ強化にポジティブな効果をもたらす可能性がある。彼らが意識するしないに関わらず、クラブが将来ロシアの文化的/社会的/政治的影響から切り離されて新たなウクライナ人のためのコミュニティへと発展する可能性があるのだ。

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2020年の欧州選手権において、ウクライナ代表が着用したユニフォームが発表された際、大きな騒ぎを巻き起こした。そこには標準のナショナルカラーだけではなくクリミア半島、そして東部国境を含む完全なウクライナの国境線も描かれた。ロシアはこれを露骨な挑発であると捉えたが、UEFAは着用を許可した。また、UEFAはウクライナ代表チームがユニフォームに民族啓発的な単語をプリントすることを禁止している。

ウクライナとロシアの対戦はグループステージ、またはノックアウトステージ序盤では禁じられているが、双方が準決勝もしくは決勝に残った際のUEFAの対応はどの様なものになるのだろうか。もしくは互いの国のフットボーラー、または政治家たちは・・・いったいどうなるのだろう。

このような状況が早急に解決され、互いの国のフットボールファンたちが幸せな結末を迎えられることを、願ってやまない。

(校了)

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