2013年、イスラエルのフットボールクラブ、ベイタル・エルサレムで前代未聞の事件が起きた。ロシア系イスラエル人のオーナー、アルカディ・ガイダマクが、2人のチェチェン人イスラム教徒選手、ザウル・サダエフとジャブライル・カディエフとの契約を決断したのだ。これはクラブにとって歴史的な一歩となるはずだった。しかし、それは内戦の始まりを告げる号砲となった。
サポーターの中でも最も過激なウルトラス集団「ラ・ファミリア」は、自らのチームに対して牙を剥いた。彼らはオーナーの娘へのレイプ脅迫を含む殺害予告を送りつけ、試合の集団ボイコットを実行し、スタジアムを荒涼とした空席で埋め尽くした。ピッチでは絶え間ない人種差別的なチャントが響き渡り、サダエフがクラブ史上初のイスラム教徒選手としてゴールを決めた瞬間、彼らは祝福する代わりに抗議のためにスタジアムを後にした。狂気の沙汰は、クラブ事務所への放火という形で頂点に達し、歴史的なトロフィールームは灰燼に帰した。
2009年には当時のキャプテンだったアヴィラム・バルヒヤンがアラブ人選手を歓迎するコメントを出したところ、ラ・ファミリアの会合に強制招集され、翌日には謝罪に追い込まれたこともあった。
この常軌を逸した自己破壊的な行動は、クラブが掲げるスローガン「永遠に純潔(Forever Pure)」――すなわち、アラブ人選手を絶対に受け入れないという暗黙の規則――の異常さを世界に知らしめることになった。イスラエル・プレミアリーグで、人口の約20%を占めるアラブ人選手を一度も獲得したことのない唯一の主要クラブ。なぜこのクラブは、自らを破壊しかねないほどの暴力をもって、その純潔を守ろうとするのか?その答えは、ピッチではなく、イスラエルの政治と社会の深層に横たわっている。
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ベイタル・エルサレムを理解する鍵は、それが単なるフットボールクラブではなく、特定の政治思想がスポーツの場で具現化した存在であることを認識することにある。クラブの魂は、1923年にラトビアのリガでゼエヴ・ジャボチンスキーによって設立された青年運動「ベタル」とイデオロギー的に直結している。
ジャボチンスキーは、当時の主流派シオニズムの妥協的な姿勢に異を唱える「修正主義シオニズム」の創始者であった。この思想は、今日のベイタル・エルサレムの過激な姿勢を理解するための3つの柱に基づいている。
• 領土最大主義: 修正主義シオニズムは、ヨルダン川の両岸を含む「エレツ・イスラエル(イスラエルの地)」に関する一切の土地の妥協や分割を拒否する。この思想は、後の併合政策や領土拡張主義の礎となった。
• 軍国主義: ジャボチンスキーは、アラブ人がシオニストの計画を打ち破る希望を抱いている限り、いかなる合意も不可能だと考えた。彼は1923年のエッセイで「鉄の壁」という概念を提唱し、「合意に達する唯一の方法は鉄の壁である。すなわち、いかなるアラブの影響によっても打ち破られることのない力である」と主張した。武装闘争を辞さない準備と意志が、国家建設の中心に据えられた。
• 「新しいユダヤ人」の創造: 彼のビジョンの中核には、ディアスポラ(離散)の生活で染みついた劣等感から解放された、理想的なユダヤ人像があった。それは「誇り高く、寛大で、獰猛あるいは冷酷な」人間であり、自らの国のために戦うことを厭わない戦士であった。
このイデオロギーのるつぼの中で、1936年、ベタルの地元指導者であったダヴィド・ホーンとシュムエル・キルシュシュタインによってベイタル・エルサレムは設立された。これは単なる名目上のつながりではなかった。初期の選手の多くは、イルグンなどの修正主義派の民兵組織のメンバーでもあった。設立当初から、このクラブは労働党主導のエスタブリッシュメントへの対抗勢力であり、右派ナショナリズムのスポーツにおける砦だったのである。
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クラブの過激なアイデンティティを決定づけたのは、イスラエル建国後の社会変動であった。1950年代から60年代にかけて、中東・北アフリカ諸国から多くのユダヤ人移民「ミズラヒム」がイスラエルに到着した。彼らは迫害から逃れてきたにもかかわらず、新たな国で別の形の疎外に直面することになる。
当時のイスラエル社会は、ヨーロッパ系の「アシュケナジム」エリートが主導権を握っていた。彼らはミズラヒムを「後進的」で「原始的」とみなし、しばしば軽蔑と父権主義的な態度で接した。ミズラヒムは辺境の開発都市に追いやられ、二級市民として扱われる「第二イスラエル」を形成した。この社会的な周縁化は、労働党を中心とする体制への深い恨みと怒りを彼らの心に植え付けた。
この不満と疎外感の渦の中で、ベイタル・エルサレムはミズラヒムにとって「自然な避難所」となった。労働党のエスタブリッシュメントに対抗する右派の象徴であったベイタルを応援することは、体制に対する政治的な抗議行為そのものであった。
しかし、ミズラヒムの過激な反アラブ主義には、より複雑な心理的側面が存在する。彼らは出身国では「ユダヤ人」として扱われ、イスラエルでは「アラブ人」と見なされるという深刻なアイデンティティ危機に直面した。彼らの文化、言語、音楽といった「アラブ性」は、ヨーロッパ文化を至上とする社会において恥の源となったのだ。
この屈辱を乗り越え、シオニストのプロジェクトへの忠誠を証明するため、一部のミズラヒムは自らの「アラブ性」を過剰に否定する必要に迫られた。これは、自らが持つスティグマを払拭するための「過剰補償」の一形態であった。彼らがスタジアムで「アラブ人に死を」と叫ぶとき、それは単なる人種差別的な罵声ではない。それは、体制から軽蔑するよう教え込まれた「内なるアラブ人」を象徴的に殺害する、絶望的な自己証明の儀式なのである。
この複雑で痛みを伴う心理プロセスこそが、クラブのアイデンティティの根幹をなす「純潔」への執着を生み出したのだ。
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2005年に設立されたウルトラス集団「ラ・ファミリア」は、この歪んだアイデンティティの最も暴力的で過激な表現である。メンバーの多くはミズラヒムで構成され、彼らはクラブのイデオロギー的純潔の守護者を自任している。その思想は、アラブ人の追放を主張するユダヤ至上主義「カハネ主義」に深く傾倒している。彼らにとって、その獰猛さと冷酷さは、ジャボチンスキーが構想した「新しいユダヤ人」の理想を現代に受け継ぐ、国家を守るために必要な美徳なのである。
彼らの暴力は、単なるフーリガニズムではない。それは、クラブの創設理念である「鉄の壁」の概念を、ストリートレベルで粗野に適用したものである。彼らは、自らの目標を達成できるのは打ち破られることのない力だけだと信じているのだ。彼らの存在が、ベイタル・エルサレムを、前述の通りイスラエル人口の約20%を占めるアラブ人選手を一度も獲得したことのない唯一の主要クラブたらしめているのである。
ベイタル・エルサレムとイスラエル政界、特にベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党との結びつきは、非公式ながらも深く、長年にわたる。1996年、ネタニヤフは首相としての初当選を祝う場で、聴衆に向かってこう叫んだ。「行け、ベイタル!」。彼は、このクラブの支持基盤が自身の権力への道筋であることを熟知していたのだ。
このクラブの過激な政治性は、故イツハク・ラビン首相への追悼の黙祷が捧げられた際に最も醜悪な形で露呈した。ファンは黙祷を捧げるどころか一斉にブーイングを浴びせ、その後にはラビンを暗殺したイガール・アミルを称賛するチャントがスタジアムに響き渡った。
このウルトラス、クラブ、そして政界を繋ぐ象徴的な人物が、現国家安全保障大臣のイタマル・ベン・グヴィルである。彼はイラク出身のミズラヒムの家系に生まれ、青年時代からカハネ主義運動に身を投じ、ベイタルのユースチームでプレーした経験を持つ。弁護士としては、ラ・ファミリアのメンバーを含む数十人のユダヤ人過激派を弁護してきた。彼の存在は、スタジアムの憎悪が国政の中枢にまで浸透していることを示している。
この癒着は、単なる象徴的なものではない。2020年から2021年にかけて反ネタニヤフデモが激化した際、ラ・ファミリアのメンバーは「私兵」として機能した。「左翼に死を」と叫びながら、デモ参加者やジャーナリストを物理的に攻撃したのだ。ファン文化は、完全に政治権力と一体化していた。
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この暴力と憎悪に満ちた物語の中で、光を見出すことは不可能に思えるかもしれない。しかし、変化の可能性を示唆する一人の男の物語がある。ダヴィド・ミズラヒ、元ラ・ファミリアのリーダーである。
困難な幼少期を過ごした彼は、ウルトラス集団の中に帰属意識を見出し、その情熱を憎悪のイデオロギーへと変えていった。2013年のチェチェン人選手への抗議活動では中心的な役割を果たした。しかし、その後、彼自身が公の場で脅迫を行ったことでクラブから重い罰金を科され、離婚も重なり、深い個人的な危機に陥った。借金を返すためにアラブ人の労働者たちと肩を並べて働く中で、彼は初めて彼らの人間性に触れ、自らの信念が根底から覆されるのを経験した。
今日、憎悪の使徒は平和の語り部となった。彼はラ・ファミリアを脱退し、今では「裏切り者」と呼ばれ、身体的な暴行や罵声を浴びせられ、唾を吐きかけられている。それでも彼はエルサレムの学校を訪問し、自らの経験を語り、若者たちが自分と同じ過ちを犯さないよう寛容を説き続けている。
「国と、クラブと、『ラ・ファミリア』を裏切ったと彼らは言う。だが私は裏切り者ではない。私は自分のチームを愛し、本当のファンとはチームを応援することに集中すべきだと信じる、ただの男だ」
憎悪とは「荷物」であり、怒り続けるには人生はあまりに短い。ダヴィド・ミズラヒの物語は、この重い荷物を手放すことが可能であることを示している。最後に、映画『アメリカン・ヒストリーX』が引用した、ある人物の言葉でこの記事を締めくくりたい。それは、分断された国家の癒合を願ったエイブラハム・リンカーンの言葉である。
「我々は敵ではない、友人なのだ。敵であってはならない。激情に駆られても、友情の絆を断ち切ってはならない。記憶の神秘的な弦は、いつか必ず、我々の良心に触れて再び鳴り響くだろう。」
(校了)
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